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事例検討グループの“夢”

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教員のための『対話による事例検討会』の5回目が終わりました。

継続できていること自体、嬉しいですが、実はもう一つ喜んでいることがあります。
それは、参加者の方が職員室で困っている知り合いの職員を誘ってくださることが続いていること。毎回「初参加」の方がおられるのがとっても新鮮で嬉しい驚きなのです(^_^)

なので、自分としては「今回は無くしてしまおうかな」と思いつつ、毎回「プロセスワークってね・・・」という話をすることになります。

結果的に先生たちは「良い復習になる」といって喜んでくれているようです。
プロセスワークの考え方って、「一次、二次、エッジ」とか、シンプルなんだけど、どういうわけか、聴くたびに新鮮なんですよね。しかも、実際にやってみようとすると、急に「はてな?」となったりすることも多いです。やはり、普段の私たちの物事の捉え方とずいぶん違っているからなのではないかな、とか思ったります。

さて、今回は初参加の若い女性の先生がボロボロに泣かれながらケースに取り組まれたのですが、参加された他の先生方の本当に暖かく、熱心なサポートが印象的な、とってもハートウォーミングな会となりました。

検討会の最後に先生方が感想として話されたのは、「このような話し合いが職員室ではなかなかできない」ということ。ケース会議の場を持ったとしても、本当に建設的でやる気の出る会議にはなりにくいと言います。

その原因はいくつも考えられます。

・そもそも、新人と言ってもプロなので、泣き言は言えない(という思い込み)。
・そもそも、ベテランのアドバイスは、新人にはハードルが高く、プレッシャー。
・そして、そのことに気づいているベテランは却って遠慮してしまう。
・そもそも、じっくりと話す時間が無い。
・そもそも、みんな自分のクラスのことで手一杯。

・・・などなど。

そして、さらに大きな問題が二つあると考えました。

一つは、
「ミーティングは負担が大きいだけで有効な解決策が見つからず、辛い」
という、これまでの体験。

直線的な因果論で取り組んでいくと、例えば、家族の職業や価値観、事情など、教員サイドでは「どうしようもできないこと」にぶち当たったときに、大きな無力感に襲われます。さらに、原因の捉え方や対処方法が教員の教育観や価値観によって違っており、ミーティングがその「意見の戦いの場」になってしまうことも、先生たちがケース会議が嫌いになる原因の一つのようです。原因を特定するつもりで、悪者探しになってしまい、しかも、それが「変えようがない」ことに気づいてしまったら、会議が不毛なだけでなく、大きな徒労感に襲われてしまうことでしょう。

そして今回気づいたのですが、本当に困った時ほど「ケース会議」なるものが好まれないもう一つの理由は、「教員自身の感情が扱われない」ことではないか、という気がしました。

泣いたり、落ち込んだり、腹を立てたりすることは、「慰めてもらえる」ことはあっても、「この事例とどんな風に関わりがあるのか」というような捉え方は普通、されません。事例とは切り離されて、その教員の「個人的な問題」として扱われることがほとんどでしょう。すると、「困った時」にそれを持ち出すのは、本人とってはとてもハードルが高いものになります。

しかし、実は「事例の当事者でもある教員に起こる感情的な反応は、事例の持っているテーマと深く関わりあっている場合が少なくない」のです。

今回の事例は環境的に非常に厳しいもので、問題の原因に対して「どうしようもない」ことが多い事例でした。通常なら重苦しいムードに支配されて、みんなうつむいてしまったかもしれません。何を隠そう、僕自身が事例をホワイトボードにメモしていく過程でどんどん追い込まれていきましたから・・・。

しかし、教員に起こった感情的な反応に焦点をあてたところから、子どもの抱えているテーマを全員が深く感じ取ることができ、さらに悪者にされかけた家族の想いにまでも理解が及んだのです。

この若い先生は、事例検討の中でご自分のもっている大きなエッジ(抵抗、信念、限界)に果敢に取り組んでくださいました。そしてそれは、ケースの子どもと自身がが抱えているエッジでもあったのです。

子どもの問題は、実は子どもだけの問題ではありません。
それは、関わっているもの全員に関わるものであり、全員にとって成長の「種」である可能性があるのです。

このようにして、問題の持っている「テーマ」がわかると、ましてやそれが実感を伴って「腑に落ちる」体験でなされると(それだけでも良いくらいですが)、その後の話し合いはとても一貫性があり、「全員で取り組んでいる感」がハンパないです。なぜなら、感情的な深い「テーマ」は多かれ少なかれ、誰の中にもあるものとして共感することができるからです。

まあ、実際のところ、プロセスワークの事例検討だからといって、すべての「問題」が魔法のように解決されるとは限りません。僕自身の限界のせいでもありますが、やはり、難しい問題は難しいです(^_^;)

でも、参加された先生方のチェックインやチェックアウトのことばを聞いていると、単純に「解決」だけを求めておられるのではないように思うようになりました。先生方は、どうやら上に書いたような「腑に落ちる体験」「問題の意味に触れる体験」がしたくて、この事例検討グループに参加されているようです。だから、お休みの日にもかかわらず参加してくださるのかも知れませんし、みなさん勉強会の場面だけでなく、「うちの学校でやってほしい」「町全体でやってほしい」という風に、ご自分の「いつもの場所」に僕を呼ぼうとされるのかもしれません。「もっとたくさんの人に体験してほしい」と思ってもらえるのは嬉しいです。

でも、僕は少し意地悪です。

僕の野望は、参加される先生方ご自身が「このような話し合い」の態度やスキルを身につけて、ご自身の職場で実践されるようになられることなのです。

僕一人に出来ることはたかが知れています。

だけど、先生方が変われば、学校が変わります。
学校が変われば、子どもが変わり、
子どもたちが変われば家族が、地域が変わるかもしれません。


そしていつか・・・。


そんなことを実は夢見てたりします。
その小さな「きっかけ」くらいにはなれるかも知れない。

そんなことを感じさせてもらえる、今日の勉強会でした。

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