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学校への関わり方②

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前回の話から、学校にカウンセラーが関わる時のポイントについて、プロセスワークの視点から2つ、取り上げたいと思います。

一つは「場とロール」。
もう一つは「学校の一次プロセスと二次プロセス」です。

まず、「場とロール」について。

「場」とはフィールド、つまり、これから関わろうとしている人たちがいる、その「空間」だったり「場所」のことです。物理的な空間でなくても、Skype会議などでも人が集まれば「場」が出来ます。「おまえ、場の空気を読めよ!」というときの「場」のことだといったらわかりやすいでしょうか。量子物理学の分野でも粒子の振る舞いについては「場」の概念と結びつけて考えられているように、実は、私たち一人一人の振る舞いも、その「場」と密接な関係があると考えられます。(プロセスワークの創始者であるミンデルは、量子物理学者でもあります)

「場」はある意味で、「舞台」のようなものです。その「舞台」の上で私たちは感じ、考え、行動するのですが、「舞台」には予めいくつかの「役」が設定されています。学校と言う「舞台」であれば、「先生」と「生徒」だったり、「良い生徒」と「悪い生徒」だったり、「友だち」「遊び仲間」だったりします。これらの「役」というか、登場人物のことを「ロール」とプロセスワークでは呼んでいます。ユング心理学を知っている方は「ペルソナのこと?」と思われるあかも知れませんが、「ロール」は社会的(あるいは対外的)な意味での役割とは限りません。たとえば、「悲しむ人」や「育む存在」といったような、ペルソナよりも深いレベルで表現されることもあります。

いずれにしても、「“場”があれば“ロール”が存在する」ということだけ、ここでは押さえておきましょう。

さて、話を先ほどの場面に戻すと、どんな「ロール」が見えて来るでしょうか?
そして、私は「別室登校生徒に関するケース会議」という「場」において、どのような「ロール」を演じてしまったのでしょうか?

恐らく私は、「救済者」のロールを演じたのだと思います。「理解されない、不登校の子どもたちを救う」というような使命感に突き動かされるように、私はあの台詞を発したのです。ほら、台詞がまるで「正義の味方」みたいでしょう? 私はスクールカウンセラーになる前は民間の相談機関にいました。そこで、子どもたちや保護者の方たちから散々、学校への批判を聴いて来たこともあり、いつの間にかそのような役割にはまっていたのだと思います。学校批判をしているときの子どもや保護者は「被害者」ですから、学校は「加害者」(というロール)となり、それを聴く私には「救済者」というロールが期待されます。

そうして、ケース会議の時にまんまと私は「救済者」となり、「被害者」である生徒の居場所をまもるため、「加害者」である学校の教員を非難したのでした。(このように、場において何かのロールを演じさせられてしまうことを「ドリームアップ」とか「ドリーミングアップ」といいますが、詳しい説明は今回は割愛します)

さらに興味深いことに、誰かが「救済者」の役をとれば、必然的に反対側に「被害者(救済されるべきもの)」や「加害者」が布置されてしまうということです。この場面では「被害者=生徒」「加害者=生徒指導の教員」ということになります。

 まあ、私が「救済者」のロールをとったために、その教員が「加害者」的な発言をしてしまったのか、「加害者」的な教員がいたために私が「救済者」に布置されたのかはわかりませんが、とにかく、「場」や人と人との関係性に置いてはそういうことが良く起こるということは覚えておいた方が良いと思います。

私たちは、「個人」であると思っていたり、「中立である」と自分のことを思っていたりしますが、いったん「場」に入ると、そういうわけにいかなくなります。つまり、「場」と無関係でいられるわけではない以上、なんらかの「ロール」を演じることになると思っておいた方が良いでしょう。

それが「悪い」わけではありません。
ただ、自覚しておくこと、「自分がいまどんなロールを演じているのか」を意識することが大切です

そうでないと、例えば、先ほどの会議の場面のようなことが起こった時に、「なんだあの教師は! あれでも教師か!」というような批判的な感情に自分が支配されてしまい、それこそ教員と協力して働くことができなくなるでしょう。もちろん、そのような態度では教師の方から信頼されることもありません。

当時、私はプロセスワークのことは全く知らなかったのですが、運良く「もしかしたら、知らないうちに生徒の味方につき過ぎていたかも」と気づくことができ、そのことをその先生に伝えることで、話を再開することが出来ました。

「気づくこと」と、「オープンになること」は時に、膠着した状態を突破するきっかけになる、ということを気づかせてもらった事件でもありました。

いや〜、冷や汗かきました・・・(^_^;)



 ・・・と、今回はここまで。
次回は「学校の一次プロセスと二次プロセス」を取り上げます。

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学校への関わり方①

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僕はスクールカウンセリング活動の最初期に、ある失敗を体験しています。
当時の僕は、スクールカウンセラー1年目の新人です。その一方で、民間のカウンセリング研究所やフリースクールなどで、不登校と関わった体験は既にある程度積んでいました。

それは、ある別室登校をしている生徒たちをめぐってのケース会議の場面で起こりました。
その生徒たちへの対応について、生徒指導の先生が杓子定規というか、融通が利かないと言うか、とりつくしまのないようなことばかり言っていました。さらに、その生徒への「批判」を繰り返したのです。

僕は段々イライラして来て、「だったら、そういう生徒たちは一体、どうしたらいいんですか!?」とちょっと(?)強い口調で発言してしまいました。するとその先生は「そんなヤツは学校に来なくていいんだ!」と言い放って、席を立ってしまったのです! 会議室には重く、気まずいムードが漂い、なんとなく会議は途中で解散してしまいました。

職員室に戻って、ようやく「これでは仕事にならない」と思い始め、ひとまず冷静になるために珈琲を淹れました。そして、もう一杯の珈琲も入れて、喫煙所で一人煙草を吸っておられたその先生の隣りに持って行き、となりに座って話しかけたのです。(けっこう、勇気がいりましたが・・・)

「先ほどは大変、失礼をしてすみませんでした。子どもからの話ばかり聴いていて、僕の考えも少し偏っていたかも知れません。でも、このままでは良くないことはみんな解っていることですし、少し焦ってしまいました。先生のお考えをもう少し聴かせていただけませんか?」

すると幸いなことにその先生はこれまでのいきさつを話してくれたのです。生徒が不登校になったきっかけや、これまでにされてきた様々な提案や働きかけ、そしてそれらが全て拒否されてきたこと、いつまでたっても改善されない焦り、教育者としての葛藤、3年になれば社会へ出さなくてはいけないというプレッシャー、そして、先生の考える「教育」について語ってくれたのです。

一通り話されてから先生は、「・・・とはいうものの、言う通りに行くくらいだったら最初から苦労はしないよな。まあ、学校で居場所は確保することは良しとしましょう。でも、それで“なあなあ”にするのではなくて、ちゃんとカウンセリングを受けさせて、自分たちで問題に向き合わさせることが条件です」と言ってくれたのでした。

おかげでその生徒と私との定期的なカウンセリングが実現しました。そして、その先生は他の非行系の生徒などもカウンセリングに繋いでくれたり、教育委員会に行かれてからも小学校とつないでくださったり、私のリクエストに応えて、地域のカウンセラー同士のミーティングなども設定してくれたりしました。先生のおかげで、私は学校でも地域でもとても働きやすくなったのです。

 この体験は私にとってとても大きく、その後の学校への関わり方をある意味で決定づけたと言えます。

当時の私はプロセスワークなどまったく知らなかったのですが、今振り返ると、学校や組織に私たちが関わって行く上での大切なポイントがいくつかあったように思います。

少し長くなってしまいましたので、次回以降、それらを取り上げたいと思います。




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